G-FTB5DFYZ60

ヘッダー

天才も天才肌もいないF1

天才肌という表現があります。その意味するところは曖昧で、調べてみると天才かと見せかけること、あるいは陰でそのための努力を惜しまない人を指すようですが、私の印象とはちょっと違います。秀才ではなく天才に限りなく近いが天才未満、つまり天才と天才肌には明確な線引きがあると思うのです。どんな世界でも天才だから必ずしもトップに立てるわけでもなく、秀才に敗れることもしばしばです。ただ天才肌という言葉を使うとそれは即ち、溢れんばかりの才能を持ちながら運がなかったり、頂点を極めるには何かが欠けていたというネガティブな意味合いを感じるんですよね。

前回F1ドライバーで正真正銘の天才はジム・クラーク、アイルトン・セナとジル・ヴィルヌーヴの三人だけと書きました。少なくともセナ以降天才は現れていないでしょう。というよりむしろ、もし天才だったとしてもそれを証明する機会がすでに失われてしまったと考えます。今のF1はマシンがあまりにも進化したためその性能に依存する部分が大きく、ドライバーの技量が果たす役割が著しく減少したからです。1980年代までのドライバーよりも大変になったのは、速すぎるコーナリングスピードとブレーキの性能向上がもたらすGに耐える体力だけでしょう。

かつては明らかに一線級とは言えないマシンやプライベーターが優勝することも稀とはいえありましたが、現在では不可能です。チームを運営するには莫大な資金が必要であり、大手自動車メーカーのサポートが必須です。進化したマシンを厳しいレギュレーションに縛られる中より速くするためのアプローチは限られ、マシンは似たり寄ったり。サーキットも安全性を重視するあまりチャレンジングなコーナーやレイアウトは廃されて個性を失い画一的です。上位と下位のマシンのタイム差は小さくなってはいるものの決してコンペティティブではなく、競争力のあるチームのシートを掴めなければ優勝など夢のまた夢です。つまりマシンの進化と安全性の向上が、ドライバーが真の才能を発揮する機会を奪ったということになります。

また、全てが電子制御された今のマシンでは、持つポテンシャルの100%を発揮できれば十分で限界を超えるようなドライビングは求められない側面があるのではないでしょうか。マシンがハイテク化する以前はエンジン・タイヤ・サスペンションの状態をドライバーが経験と勘で把握し、自身の判断のもと信じられないようなパフォーマンスを見せてくれることがありました。限界を超えすぎて破綻をきたすこともあったにせよ、豊かな才能を持つドライバーが、それを存分に見せつけることができたのです。極論を言えば、今ではチームが望む一定以上の技量さえあれば誰が乗っても大差なく、天才は必要ないということです。

天才はおらず、それに準ずる天才肌も存在しません。ルイス・ハミルトンはリザルトを見る限り、後世彼の時代を支配したドライバーと見做されるでしょうが、その内実は支配していたのは彼のマシンにすぎず、最高のマシンに乗っていたというだけです。マシンの開発面では大きな貢献をしたにせよ、彼でなくては成し得ないものとは思えません。あらゆる記録を塗り替えたとしても古の名ドライバーたちと比較することさえ無意味で、それは今後現れるチャンピオンたちも同じでしょう。とにかく似たり寄ったりのマシンが似たり寄ったりのサーキットをグルグル回って同じような顔ぶれが上位を占める、天才も天才肌もいないF1は何とも味気ないものです。

タグ・ホイヤー フォーミュラ1 クロノグラフ キャリバー16 アイルトン セナ スペシャル エディション Ref.CAZ201D.BA0633 新品 グレー/ブラック (TAG HEUER Formula1 Chronograph Calibre16 Ayrton Senna Special Edition)【楽ギフ_包装】価格:434500円
(2024/4/9 13:11時点)
感想(0件)

F1

Posted by hiro