アイルトン・セナの死
今日5月1日はアイルトン・セナの命日です。あれから28年ですか…早いものです。
1994年シーズン、セナは開幕から連続リタイアでしたが私は巻き返しを信じて疑わず、終わってみれば4度目のチャンピオンと確信していました。若手時代のセナはとんでもなく速いが危うさを伴っていて「コイツいつかクラッシュで死んじゃうんじゃないか」とハラハラしながら見ていました。ドライビングが危険という意味ではなく、何かに取り憑かれているような張りつめた悲壮感を漂わせていたのです。
2度目のチャンピオンを獲ったあたりからレース運びは洗練され、タイヤ選択やピットインのタイミングにも天才的な冴えを見せるようになります。神懸かり的な予選での速さや雨での卓越したマシンコントロールを保ったまま、決勝レースでの走りは王者の風格を備えたものに進化したのです。
明らかにパワーで劣るフォードエンジンで奮戦した93年のレースぶりはセナにしかできないもので、現役最高の評価ですでに衆目は一致し、史上最高に向かって記録を積み上げていくと思われていました。昔感じていた危うさは消え去り、私はもうセナがサーキットで死ぬことはないと安心していたのです。
あの日帰宅後今季初勝利を見届けるべくテレビの前でスタンバっていたところ、中継が始まる前にクラッシュの速報が入り意識不明の重体とのこと。耳を疑いました。確かに酷いクラッシュですが、今のF1は頑丈だからよもや死ぬことはあるまいと思っていました。訃報が入った後は、ただただ涙でしたねえ…
事故原因は色々取り沙汰されましたが未だ特定されていません。映像で見る限りタイヤかサスペンションの異常だと思いました。ドライビングミスは有り得ない。「タンブレロ」はコーナーとはいってもアクセルベタ踏みで、ステアリングを切るというより僅かに修正しながら抜けていく、そんなところではセナのみならずレーシングドライバーがミスするはずがないと。アラン・プロストも「セナのミスでは断じてない」と明言していました。
セナの死後もF1は見ました。ジル・ヴィルヌーヴの忘れ形見ジャックを応援したり、アレクサンダー・ヴルツに期待したりもしました。でも年々つまらなくなっていく。安全性が向上するのに伴ってハイテク化が進み、全てがコンピューターに制御されている。結果マシンを早く走らせるという命題に対してドライバーの果たす役割が減少してしまい個性が感じられない。コーナーリング速度が上がりすぎて危険なため古き良きサーキットは次々改修され、新設されるサーキットはどれも没個性。レース自体がコンペティティブでない、と負の連鎖ばかりに感じられます。自動運転車の時代になったらカーレースはどうなってしまうんでしょう。無人車のレース?味気ない… やはり人間が操ってこそドラマになると思っています。
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