織田信忠逃避行
妙覚寺から退散した織田信忠が二条城に入らず即刻京を脱出していら、歴史はどう変わったでしょう。京が封鎖されていないこと、安土城が囲まれていないことなどは信忠に知る由もなく、あらゆる可能性を考慮して何処に向かうのかを即断しなければならない。迷っている暇はないですからね。可能性として距離が近い順にあげると
1 安土城
2 大坂
3 松ヶ島城
4 越前府中城
5 清洲城
でしょう。安土城は防御施設に乏しい上、留守居役の蒲生賢秀が僅かな兵とともに在城しているのみですから、ここでの籠城はないでしょう。ただ信忠の本拠地岐阜城へは最短ルートになるので、安土に入れれば反転攻勢も早くなります。問題は明智光秀が全軍で本能寺に向かったとは限らないということです。織田信長が僅かな供回りしか連れていないことは光秀も先刻承知のはずですから、安土にもすでに兵を差し向けている或いは街道が封鎖されていると信忠が判断するのは至極当然に思えます。
大阪には四国攻めを控えた弟の神戸(織田)信孝と丹羽長秀がいます。しかも彼らの軍勢は渡海を目前にして臨戦態勢にあり、すぐさま明智軍と対峙するには理想的です。しかし洛中に跋扈しているであろう敵をかいくぐるのは大博打と言え、堅実な信忠は避けると思います。
松ヶ島城には弟北畠信意(織田信雄)がいます。信意は信孝らの四国征伐軍に多くの兵を供出していましたが、それでも3000程にはなります。また当初光秀に合力するかのような動きを見せた大和の筒井順慶も、信忠の無事を知れば旗幟を鮮明にするでしょうから、もし光秀が攻め寄せても籠城して暫時凌げます。ここで自身の健在を諸勢力にアピールして光秀包囲網を形成できます。
越前府中城は前田利家の嫡男利長の居城です。琵琶湖西岸を北上するこのルートは父信長が金ヶ崎の退き口で京に逃げ帰ったことの向こうを張ることになり、物語的にはうってつけです。利長が不在とはいえ、ここまで辿り着けば越中で上杉景勝と対陣していた柴田勝家率いる北陸方面軍の合力が期待できます。ただ若狭には信長によって守護職を追われた武田元明がおり、復権を狙って光秀に同調する危惧があります。
信忠の出生地との説もある清洲城は織田氏の本領尾張にあり、ここから岐阜に帰って光秀討伐軍をおこす、或いは徳川家康と合流する手もあります。しかし堺に滞在していた家康の安否は不明でしょうし、そもそも家康が変に加担していないとも限りません。時間がかかる分後手に回る可能性もあります。さて信忠どうする?
私の考えでは、父より堅実な常識人であったであろう信忠は、最も不確定要素の少ない3を選択したのではないかと思うのです。頼れるのは身内だけという思いが深まっていたかもしれません。兄弟で軍を再編成しながら各地の織田軍団、諸勢力に自身の健在を誇示するとともに謀反人光秀討伐の檄を飛ばすでしょう。
変を受けて諸武将はどう動くのか? おそらく史実と大差ないと思いますが、最も気になるのは毛利軍と対陣中の羽柴秀吉です。信忠の生存を知っても中国大返しはあるのかが焦点になりますね。
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