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海道一から天下一へ その16

根白坂での敗戦で島津の頽勢が決定的になったことで日向はおろか大隅の国衆にも厭戦気分が広がります。かつて独立勢力だった肝付・伊地知・禰寝・菱刈らには、これを機に島津から離反しようという動きも見られて島津は窮地に立たされます。

義弘、薩摩へ撤退
豊後攻略に失敗した島津義弘は、肥後へ向かって南下を始めるであろう幕府軍を迎撃するために転進します。しかし幕府軍の威容を目の当たりにした国衆たちが雪崩を打ってこれに降る状況に、肥後に在った薩州家の島津忠辰は本領出水に退却してしまいます。秋月種実が屈服したこともあって孤立無援となった義弘には単独で抗することは不可能でした。さすがの猛将義久も遂に薩摩への撤退を決断、本国の防衛に専心することになります。

家康、薩摩を窺う
徳川家康は進軍を急いではいませんでした。島津軍の初期攻勢が頓挫し国衆たちが続々と降る状況を見て、最早大勢は決したと考えていました。もともと島津を殲滅するつもりのない家康は、周辺勢力に幕府軍の勢威を見せつけ離反させ、到底敵わじと屈服させることを望んでいたのです。ここまでは、ほぼ家康の思惑通りに事が運んだことで損害は皆無に等しく行軍は示威行動に過ぎないものとなっていましたが、勇猛で鳴る島津が起死回生を図って捨て身の反撃に打って出る可能性は排除できず、大軍が物見遊山的気分にならないよう諸将の手綱を締めることを忘れませんでした。そのため軍紀は極めて厳正であり、親島津国衆傘下の領民も幕府軍を歓迎する結果になったのです。そして家康は八代に滞陣して軍の再編成に着手、薩摩侵攻の構えを見せます。

足並みの揃わない島津
求心力が低下したことを悟った当主義久は、薩摩に退いたうえで一族が結束し乾坤一擲の戦に挑むことを決めます。ところが弟家久は退却に反対、これに従わず居城佐土原城に戻ってしまい籠城の準備にかかります。これに対して前田利家が四国勢を佐土原城の押えに残して一気に薩摩を窺う構えを見せると、肝付兼続は混乱に乗じて退転してしまいます。島津の家臣化を余儀なくされて従軍していた兼続は、大隅の旧領を回復する絶好機と判断したのです。また伊地知重順・禰寝重張も独自の動きを見せ始め、もはや島津は戦線を維持することが困難な状況に陥ったのです。

義弘と歳久の対立
義久の次弟義弘は家久同様徹底抗戦派でしたが、三弟歳久は当初からこれに懐疑的でした。確かに四兄弟が決死の覚悟で立ち向かえば一矢報いることは可能でしょう。しかし、その後の展望は開けません。すでに後背地のない状況に追い込まれている以上、幕府軍の圧倒的な兵力にすり潰されていくのは間違いなく、ここで降らなければ家名の存続は困難と主張します。これに筆頭家老の伊集院忠棟が同調して義久に翻意を促し義弘と対立します。決戦志向だった義久も、家臣団に動揺が広がる事態に直面して迷いが生じ始めていたのです。

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戦国時代

Posted by hiro