ゴールトとニアマイアー
カール・ルイスが世界の檜舞台に躍り出た1983年ヘルシンキ世界陸上400mリレーで、アメリカチームの2走を務めたのがウィリー・ゴールトです。彼は素晴らしい走りで大きなリードを築き、世界記録樹立の立役者になりました。また110mハードルでも銅メダルを獲得、正真正銘の世界的スプリンターでした。
ゴールトはアメリカンフットボールでも花形選手で既にシカゴ・ベアーズからドラフト1巡18位で指名されており、翌年のロサンゼルス五輪を目指さずNFL入りを選びました。因みにこのドラフトでクリーブランド・ブラウンズから2巡指名されたロン・ブラウンは契約せずに五輪出場を目指し、400mリレーでやはり2走を任され世界記録を更新することになります。
この前年には110mハードルの世界記録保持者であるレナルド・ニアマイア―がサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに入団しており、世界的スプリンターの相次ぐNFL入りは大きな話題になりました。自国開催の五輪を控えての転向ですから、USOCとしては頭が痛かったはずです。何しろ当時のニアマイア―は圧倒的な強さを誇っており、アメリカがボイコットした80年モスクワ五輪では全種目通じて最も金メダルが確実と目されていたほどです。彼の世界記録12秒93は史上初めて13秒の壁を破ったものであり、自身が持っていた従来の記録を0.1秒更新するという驚異的なものでした。ニアマイア―の場合、ゴールトやブラウンと違い大学でアメリカンフットボールをプレーしていませんでしたが、ヘッドコーチのビル・ウォルシュが彼の運動能力を高く評価して口説き落としたようです。
ゴールトはスプリント力を生かしてパワーで押し切るスタイルでしたが、ニアマイア―は他のハードラーとは異質でした。ハードル間の走りはまるでマイケル・ジョンソンのように胸を反らしたもので、一目で彼と分かります。ハードリング技術は極めて高く、スムーズで無駄がなく流麗でした。古今東西これほど華麗なハードラーを他に知りません。
しかし陸上専門だったためフットボーラーとしてはフィジカル的に弱く、囮のターゲットとしての役割が主とならざるを得ず活躍できませんでした。NFLには3年間の在籍にとどまり、陸上に復帰しますが全盛期のパフォーマンスには遠く及ばず五輪出場も叶わなかったのです。これはフィジカル強化を図った結果、ハードルには不必要な筋肉がついてしまったことが原因のようです。
こうしてNFL最速の座はゴールトで確定かと思いきや、真っ向から挑んだ選手がいました。ゴールトと同じ83年ドラフトでワシントン・レッドスキンズに1巡28位指名されたダレル・グリーンです。
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