桶狭間後の今川義元 その11
早い段階での上洛を考えていた武田信玄は上杉輝虎の南下を受けて方針を転換、遠江・三河の領国化を進めて足場を固めることにします。この時点でも信玄は後詰のない掛川城の自落は時間の問題と考えていました。しかし将軍足利義輝は自ら出陣して中山道を進むとともに、海からの掛川城救援を目論んでいたのです。
幕府軍遠江に上陸
信玄は吉田城まで進出していましたが今川水軍は健在です。駿河湾の制海権こそ北条水軍が握っていましたが、御前崎以西には及んでいません。そこに目をつけた義輝は伊勢・志摩の水軍を糾合して武田軍の背後に大規模な遠征軍を上陸させるという大胆な作戦に打って出ます。畠山高政を総大将とする紀伊・河内勢を中心に伊勢国司北畠具教も重臣鳥屋尾満栄率いる援軍を派遣、その数は1万5千です。また知多半島の師崎水軍が露払いとして先行、もし北条水軍が出撃してきた場合これを食い止めるという作戦です。
高政は当初浜の浦に上陸するつもりでしたが、名にし負う遠州灘の荒波と悪天候に妨げられて遥か西、しかも広範囲に分散して上陸することになって軍勢の結集に手間取ります。反面北条水軍の妨害はなく、大きな損失はありませんでした。そこで高政は高天神城を目指さず一気に掛川城に向かうことを決めるのです。
義輝遠江に接近
安藤守就を先鋒に中山道を東進する義輝を遮るものはありませんでした。将軍自らの出馬は武田に靡いた各勢力を動揺させるに十分でした。室町幕府の威光は未だ健在だったのです。稲葉貞通・氏家直元は鳴りを潜めて岩村城の遠山景任はあっさり開城、山家三方衆も恭順します。労せず長篠城に入った義輝は、信玄が畠山勢への対処に動くタイミングを待っての遠江侵攻を目論んでいました。
信玄は大規模な幕府水軍が伊勢湾を発った事実を掴んだものの、これがどこを目指しているかは判然としません。そこで山県昌景に急使を発する一方、四男諏訪勝頼に内藤昌豊をつけて曳馬城に向かわせました。しかし昌景は信玄の命を待たず迅速に行動していました。
小笠山の戦い
幕府軍の北上を知った山県昌景は迎撃を決断、掛川城包囲軍から半数を抽出して出陣するとともに、高天神城を囲んでいた軍勢も加えます。入山瀬で幕府軍を挟撃するという作戦です。畠山高政は掛川城を目指していましたが、そのためには山間の隘路を進まざるを得ないので大軍は縦に伸び切ってしまいます。そこを急襲して分断することを狙ったのです。
掛川城の今川義元は包囲軍の動向から異変を察知、幕府軍の遠江上陸を知ります。すでに籠城は1年を優に超え糧食も尽きかけており、脱出する兵も続出する有様です。局面打開の絶好機と見た義元は昌景の背後を突くべく遂に出陣します。包囲軍を打ち破って南下した義元にもたらされたのは幕府軍の潰走でした。山岳戦に不慣れな高政勢は昌景の術中にはまって成すすべなく大敗したのです。ここで退却しては総崩れになると判断した義元は高天神城を目指すことを決め、大きな損害を出しながらも突破に成功して入城することができました。しかし如何に堅城とはいえまさしく孤立無援となった高天神城の命運が尽きるのも、もはや時間の問題でした。
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