桶狭間後の今川義元 その42
徳川家康が二俣城攻略に手間取っていることを知った将軍足利義輝は、新たに中山道に別動隊を派遣することを決めます。北から二俣城に圧力を加えるもよし、武田勝頼の出方によっては一気に高遠城を目指すもよしという戦略眼を求められるこの軍勢の指揮を任されたのが明智光秀でした。
上杉、武田と和睦
越後の上杉景勝は、事実上一向一揆衆の手にある越中・加賀・能登の実効支配を目論んで検地を実施しようとしますが、これが反発を呼んで衆徒が蜂起する事態を招きます。ここに至って景勝は武田との和睦を決断しますが、勝頼の妹菊姫の輿入れについては幕府を憚って難色を示し、勝頼の従兄弟信豊の嫡男次郎を養子とすることで決着します。景勝が正室を迎えて嫡子が誕生すれば次郎の存在は宙に浮くため問題はないと判断したのです。
北条が幕府に接近
武田と上杉和睦の噂は北条氏政を驚かせます。武田とは依然同盟関係にはあるものの、ほとんど北条側から反故にしたも同然であり、もしも武田上杉と敵対することになれば佐竹制圧を棚上げせざるを得ません。そこで氏政は幕府への接近を図ります。古河公方足利義氏を擁している北条にとって幕府への従属は何ら不自然なことではなく、武田と全面対決している幕府にとっても好都合なはずです。北条包囲網が形成される前に幕府側に立つことで上杉を牽制する狙いもありましたが、旗幟を鮮明にすることが戦を招く心配もあり、氏政は双方を秤に掛けながらの外交を展開することになります。
二俣城攻防戦
光秀率いる幕府軍が秋葉街道で南に転進したことを知った徳川家康は、これに呼応するべく自らも二俣城に向けて出陣します。堅固な二俣城もこれほどの大軍に包囲されれば音を上げるでしょう。城将依田信蕃は曳馬の武田信廉に救援を要請すると天嶮を恃んで守りに徹しますが、これに対し家康は攻城を急がず周囲に付城を築き始めて長期戦覚悟の構えを見せます。漸次明智勢も到着し、二俣城は十重二十重に包囲されます。いっぽう信廉は二俣城救援に内藤昌豊を派遣、北上した昌豊が寺島まで進出すると家康もこれに備えて軍を割き睨み合いになります。糧食が尽きれば二俣城は自落せざるを得ないと考えた家康は、昌豊を牽制するのみで野戦に打って出る気はなかったのです。
勝頼甲府を出陣
二俣城の危急を知った勝頼は、上杉との和睦の目途が立つとすぐさま出陣の準備にかかります。日向虎頭に伊那衆を高遠城に参集させるよう命じてこれを糾合、一路二俣城を目指します。父信玄譲りの機動力は健在で、幕府軍がこれを察知した時には秋葉山に達していました。家康は城西側の切岸に天竜川から取水するための井戸櫓があることを発見し、水の手を断とうと攻撃を仕掛けていましたが、頑強な抵抗にあっていたところに予想外の勝頼の出現です。結局包囲を解いて撤退することを選びます。勝頼としても数に勝る幕府軍との決戦は自重し、二俣城救援の目的は達したとして引き上げます。
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