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最強と最高の違い

宮本武蔵を最強の剣豪に挙げる声は多いです。29歳までに60余度の勝負で無敗とされていることから、当然と言えば当然でしょう。他にも塚原卜伝や伊藤一刀斎など生涯不敗とされる剣客はいますが、彼らと並ぶ史上最強候補の筆頭であるのは間違いないですね。

どんな世界でも最強と最高とでは趣が違ってきます。スポーツならば対戦成績が最強を決めるうえで大きな判断材料になるのは言うまでもないですが、それが全てではないはずです。例えば衰えを隠せない名選手が次代を担う新進気鋭のスーパースター候補に敗れたとしても、もし全盛期に対戦していたら結果は違ったかもしれません。つまり心技体のうち、体が衰えると心技が健在でもトップに君臨するのは難しくなります。

剣術の場合はどうでしょう。よく屈強な格闘家が、老齢でみすぼらしい古武道の使い手に手も無く捻られる映像を見かけます。体力や身体能力が落ちても、修練を重ねれば十分カバーできるということです。心技が体に勝るわけで、これは鍛えたり場数を踏む以上に精神的な高みに達することが重要であることの証左でしょう。武道がスポーツと一線を画するのは、まさにこの点にあるのではないでしょうか。

最強でなく最高を選ぶとなると、個人的な主観が反映する余地が大きくなるので却って楽かもしれませんが、何をもって最高とするかで違ってきます。記録を優先するか鮮烈な印象を残した記憶を優先するか、また長きに渡って高レベルの安定した成績を残したことと、短くとも時代を完全に支配するほど圧倒的な存在感を見せたことのどちらを選ぶのか。さらには後世に与えた影響の大きさを評価するのもありでしょう。

武蔵が生きた時代は乱世から泰平の世への過渡期にあたります。戦国時代には甲冑を纏った状態での戦闘を前提にした介者剣術が中心だったとされますが、これはどうでしょう? 戦国といっても四六時中合戦していたわけではありません。完全武装するのは、いざ出陣となった場合ですから平時に鎧を着込んでいるはずはないです。中世は自力救済の時代ですから些細な揉め事が喧嘩や斬り合いに発展するのは日常茶飯事であり、これは百姓・町人でも変りません。戦うことを生業とする武士ならば、不測の事態に備えて素肌剣術の体得も必要不可欠だったのではないでしょうか。平和の享受に連れて素肌剣術が主流となり、また剣術自体が敵を斃して生き残るための武術としてよりも、己を高めるための精神修養としての側面を重んじる武道へ変貌する萌芽となったのです。所謂殺人剣から活人剣への昇華が到達点となり、現代剣道の成立基盤になったということでしょう。こうした歴史的変遷から鑑みると、強さだけでなく人格面や剣術のありかたをどのように考え後世に伝えたかが非常に重要と思うのです。全てを兼ね備えた達人こそ最高と言えるのではないでしょうか。

個人的には武蔵が史上最強の最有力候補であることには同意しますが、最高には推せません。そのマキャヴェリスト的側面から考えて、武蔵は殺人剣の範疇から抜け出すことができなかったと思えるからです。

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戦国時代

Posted by hiro