桶狭間後の今川義元 その54
今川氏真の心中は穏やかでありませんでした。氏真を差し置いてかつての家臣徳川家康を父義元の養子とし次期将軍へという動きが明らかになるいっぽう、自身を後継者にという働きかけには将軍足利義輝はおろか義元さえにべもなく、国持大名に復帰することさえおぼつかない状況です。そんな憤懣が遂に爆発してしまうのです。
天正の変
ある日、連歌会が終わり皆が退出した後、義輝と氏真は残って何やら話し込みます。その後騒ぎが起こり、異変を聞きつけた前田利家が駆けつけると思いがけない事態となっていました。二人が斬り合ったようなのです。すでに氏真はこときれており、義輝は深手を負っていました。氏真も新当流剣術を学んでいましたが、塚原卜伝の直弟子で剣豪としても知られていた義輝の不意を突きながらも返り討ちに遭ったようです。すぐに侍医の曲直瀬道三が呼ばれましたが致命傷であり、手の施しようがありませんでした。辺りは騒然となり、馬廻衆が二条御所を固める中、在京していた細川藤孝が到着し他の相伴衆に変事を知らせて上洛を促す急使を出すいっぽう、犯人が氏真であることから義元の関与を疑って身柄を拘束するよう兵を差し向けます。状況から考えて氏真一人の仕業であるものの、黒幕の存在が噂されて様々な憶測が飛び交い、京は蜂の巣をつついたような騒ぎになります。
坂本会議
藤孝からの知らせを受けた家康と明智光秀は、すぐさま上洛の途に就きます。毛利輝元は名代として安国寺恵瓊を派遣、上杉景勝は国内の平定に忙しく上洛しませんでした。彼らは坂本城に入って今後の対応を協議することになります。輝元の意を受けた恵瓊は早速足利義昭を入洛させ将軍を継がせるべきとしますが、これに賛同したのは光秀のみでした。家康と藤孝は、まず背後関係を調べるのが先として反対します。義昭が将軍後継を狙って各地に働きかけていたのは周知の事実だったからです。つまり裏で義昭が糸を引いていたとの疑念が晴れない限り簒奪以外の何物でもないと。これに対して光秀は当事者がともに落命したからには真相究明は難しく、それよりも幕府の体制が盤石であると一刻も早く天下に知らしめることこそ肝要との考えでした。ある意味義輝個人よりも足利将軍家自体が光秀にとっては重要で、その血統が保たれるならば些少なことと割り切っていたわけです。会議は結論が出ず、当面将軍不在のまま彼らの合議で幕府を運営することになりますが、家康・藤孝対輝元・光秀という構図が明らかになります。
義元の最期
拘束された義元ですが程なく解放されます。従前の行動や言動から考えて、すでに義元には政治的野心はなく御伽衆として義輝の相談役に徹しようとしていたことが誰の目にも明らかだったからです。しかし義元の傷心は甚だしいものでした。一時は副将軍として足利将軍家の屋台骨を支えながら、わが嫡男が将軍を弑逆したのですから… 義元に残されたのは出家することでした。義輝、氏真はじめ戦乱の世に生まれて非業の死を遂げた家臣、ライバル、そして無辜の人々… 天下泰平を実現できなかった自らの非力を彼らに詫び、その菩提を弔おうと決めたのです。しかし残された時間は多くありませんでした。憔悴しきった義元の心身は、もはや仏に仕えることさえ困難なほど急速に衰えて年が明けるのを待たずに燃え尽きてしまうのです。
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