家光横死後の幕府は?
映画『柳生一族の陰謀』で描かれた三代将軍徳川家光の暗殺が、実際に行われていたとする仮定においては留意すべきことがあります。作中では二代将軍秀忠が将軍在位のまま死去し、家光と弟忠長の後継争いに発展したことになっていますが、史実ではすでに家光は将軍位を譲られています。また秀忠の死は1623年(元和8年)で忠長の切腹はその10年後ですから、ストーリーの展開からして明らかにタイムラグがあるので一連の騒動をいずれの段階に合わせるかが問題になります。そこで私は前者に合わせた場合、忠長がまだ駿河を領していないこと、陰謀の中心人物である松平信綱が老中に就任していないことから後者に合わせるべきと考え、その前提で話を進めます。
家光の嫡男家綱はまだ生まれていません。四弟正之は庶子であり、高遠藩主として保科家を継いでいます。となると尾張か紀伊ということになりますが、尾張の義直・紀伊の頼宣とも大坂の陣を経験した戦国の遺風を色濃く残す人物です。また義直は家光への対抗心が強く、関係は微妙なものだったとされていますし、頼宣は明の遺臣鄭成功からの援軍要請に対して前向きで幕閣から煙たがられていました。知恵伊豆と評される信綱ならば、英明で二人の兄にも可愛がられた正之を担ごうと画策したかもしれませんが、江戸城内で将軍を斬殺されるという大失態を演じた柳生宗矩と一蓮托生だった信綱が、その責任を免れるのは極めてハードルが高いでしょう。老中首座酒井忠世も連座して失脚することになると思われます。土井利勝はすでに柳生の手で討たれたことになっているので、幕閣を主導するのは酒井忠勝ということになりますが、どうであれ幕府の権威が大きく損なわれるのは間違いなく、義直・頼宣の発言力が増すのは確実です。家光に対してさえ対抗心を隠さなかった二人が、庶子である正之を推すとは思えません。
より積極的に動くのは頼宣でしょう。頼宣は明への援軍として牢人衆で遠征軍を編成するよう幕府に提言していました。これは噂となって広まり、和歌山城下に多数の牢人が集まったとされます。幕府と対決する意思の有る無しにかかわらず、立身を図る牢人たちの拠り所になったであろうことは容易に想像できます。幕府がこれを危険視して対立が先鋭化するでしょう。幕府の武断政治の結果増え続けた牢人は、この頃50万に達したとされます。このうち数万から十数万が和歌山に集まったならば、統制を離れて騒動を起こすかもしれません。些細な齟齬から武力衝突に発展する可能性は排除できないです。
いっぽうの義直はどうか。おそらく将軍家を守るという意識は頼宣より強かったと思われます。「尾張は将軍家を争わず」という家訓がありますが、これは4代吉通のものであり義直が述べた記録はありません。しかし後年そうなる土壌がすでにあり、それが義直の立ち位置を示唆していると感じるのです。とはいえ世代を重ねて血の繋がりが希薄になった後世とは違い、義直は紛れもない神君家康の子です。嫡流とはいえ庶子に継がせるよりも、将軍家断絶の危機に備えて配された神君実子が後継すべきと考えるのではないでしょうか。尾張は江戸と紀州の間に位置し東海道を扼する要衝ですから、幕府はなんとかして味方に引き込もうとするでしょうが、少なくとも正之の将軍就任については頼宣と一致して圧力をかけ阻止すると思います。
問題はどちらが将軍に就くかですね。ここに至って義直が弟である頼宣にすんなり譲るとは思えません。ここで注目すべきは外様大名との関係です。義直の正室春姫は浅野幸長の娘であり、その母は池田恒興の娘です。芸備42万6千石の浅野と、岡山・鳥取64万石の池田は西国を押さえる位置にあり、ともに武勇で知られる大藩です。さらに広島藩主浅野光晟は正室として前田利常の娘を迎えることが決まっています。いっぽう頼宣の正室は加藤清正の娘八十姫ですが、加藤家はすでに改易されています。有力外様大名とのパイプは義直のほうが遥かに太いと言えます。
さらに気になるのは伊達政宗が病身とはいえ健在なことです。晩年の政宗は天下取りの夢を諦めて幕府に尽くしていましたが、この風雲急を告げる情勢にどう出たでしょう。最後の華を咲かせるべく乾坤一擲の勝負に出るか? いやいや、陣頭に立てない容体では無理でしょうね。ただ後継者忠宗の正室が池田輝政の娘ですから、義直に与して仙台藩の基盤強化を図るかもしれません。
結局有力外様大名の支持を得られない頼宣は、その包囲網に屈して身を引くのではないでしょうか。なにより二人とも直接対決を望んでいるわけがありません。天下泰平への道を閉ざして乱世に戻すような愚行を、他でもない神君の子が犯すようなことはないでしょう。そんなことになれば、尊敬する偉大な父の名を汚すことになりますからね。
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