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海道一から天下一へ その25

前田利家から教如を拘束したことを知らされた徳川家康は、利家に対し教如の安全を保障しつつ身柄を確保するよう命じます。家康は本願寺の勢力回復を妨げるために教如を敢えて取り立てることで教如の父顕如の求心力を下げ、さらに弱体化させることを考えていました。

信康上洛
家康は上洛した嫡男信康を二条城で引見、許可なく北条の援軍に赴いたことを詰ります。これに対し信康は、北条氏政の婿であり氏直の義兄弟である自分が助力するのは当然であり、家康の許可を得なければならないいわれはないと抗弁、二人の意見は平行線のままとなります。信康にとっての家康は単に父親というだけでなく、幕府の最高権力者としての立場から差配していることを理解しようとしないことに苛立った家康は、信康に駿府への帰還を許さず稲葉山城に蟄居するよう命じます。こうして信康は、かつて後見役だった石川数正に伴われ稲葉山城に入ることになるのです。

北条、小田原城を拡充
小田原の北条氏政は常陸への出陣が直ちに幕府との関係悪化に繋がるとは考えておらず、信康の身を案じる生母築山殿の懇願や、しきりに上杉との同盟を働きかける足利義昭の動きにも冷淡でした。しかし上洛した信康が留め置かれたまま戻る気配がないと知るに及んで不安を覚えます。こちらに幕府と対決する気がなくとも家康の真意はわからず、この件がやがて衝突を不可避なものにする可能性をはらんでいると気付いたのです。そこで成果を上げず佐竹との対陣を続けたままの遠征軍を徐々に引き揚げ幕府に対する態度を軟化させるいっぽうで、小田原城を拡張して防備を一段と固くする工事に取り掛かります。これは城下町ごと囲い込む壮大なもので、完成すればどれほどの大軍でも跳ね返せる難攻不落の要塞になると見込めるものでした。

義昭、越後を追われる
家康は信康の駿府における動向を詳細に調べ始めます。その結果築山殿の義昭との接触や、北条と上杉の同盟を画策する義昭との連携を氏政に働きかけていた事実が明るみに出ます。これに信康がどの程度関わっていたか定かでないとはいえ、家中の分断を招きかねない行動です。築山殿と義昭が北条・上杉さらには伊達をも巻き込み信康とその側近たちを使嗾して反旗を翻すという由々しき事態が起きていれば、幕府における家康の威信は大きく傷ついたことは間違いありません。信康の処遇に悩む家康は、まずは黒幕ともいえる義昭をなんとかせねばならないと考え上杉に圧力をかけます。義昭の策動を自らの復権のために天下を騒がす行為と断罪し、義昭を放逐せずば幕府に対して弓を引くものと上杉景勝に迫ったのです。これに対して上杉家中には幕府との対決を志向する声は上がらず、家康を警戒する直江兼続もそれ以上に義昭を危険と感じており、ここで義昭を担げば火中の栗を拾うようなものと意見します。景勝がこれに同意した結果義昭は越後を退転することになるのです。

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戦国時代

Posted by hiro