海道一から天下一へ その30
大内定綱謀反の噂によって動きを封じられた伊達政宗は鬼庭綱元を大将として大崎義隆討伐に向かわせますが、背後に最上義光がいることは容易に想像できました。そこで政宗は越後の上杉景勝に出陣を依頼します。さらに定綱に呼応して佐竹義重が動くことを警戒して北条にも救援を要請することになります。
大崎合戦
政宗の要請を受けた景勝は本庄繫長に出陣を命じはしたものの、最上領への侵攻は禁じて牽制するにとどめました。幕府に難癖をつけられまいかと警戒したのです。義光は上杉の動きに構わず中新田城に拠る大崎勢に援軍を派遣したため、伊達勢は積極策を取れませんでした。背後に不安を抱える政宗は出陣できず、戦況は小競り合いに終始して膠着します。そこで政宗は腹心である大森城主片倉景綱に、専念寺の従弟成実を説得させることにします。大森城下に引きこもった以上、少なくとも成実に叛心がないことは明らかですから、誤解を解いて成実に南の抑えを任せ出陣したかったのです。しかし臍を曲げた成実は応じようとしませんでした。痺れを切らせた政宗は遂に手勢を率いて中新田城に向かうことになります。
郡山合戦
政宗の出陣後、常陸の佐竹義重とその子蘆名義広は、満を持したかのように伊達領を侵食し始めます。連合軍は伊東重信の郡山城と窪田城を囲んだのに対して伊達方は片倉景綱・白石宗実が対峙しますが、兵力で大きく劣るうえに小浜城の大内定綱が鳴りを潜めて動かず手出しできませんでした。しかし小高城の相馬義胤が連合軍に呼応して挙兵したとの情報が入ると座視するわけにはいかず、局面の打開を図ります。景綱は大舘城主岩城常隆が連合軍の背後を突くという噂を流して動揺を誘うと夜襲をかけます。ここで伊達勢は新国貞通をはじめ多数を討ち取るものの、兵力の差は如何ともし難く退却を余儀なくされます。その後は態勢を立て直した連合軍に押されて窮地に陥りますが、これを救ったのが伊達成実でした。成実は伊達家の危機を看過できず、僅かな供回りを引き連れたのみで駆けつけたのです。ここで成実は鬼神の如き武勇を発揮して連合軍を切り崩し、撃退することに成功します。また相馬軍は突然小浜城を出た大内勢に襲われ潰走します。したたかな定綱は両軍の動きを見ながら天秤に掛けていたのです。結果として連合軍の攻勢は頓挫し、戦況は膠着することになります。
小次郎、小田原へ
南における事態の急変で踵を返した政宗は、成実の参戦を知ると米沢城に戻ります。やはり弟小次郎の存在が火種になると思い知った政宗は、急ぎ小次郎を小田原へ出立させることにします。強硬に反対する母義姫を拘束し、強引に事を進めたのです。しかし腹背に敵を抱えている状況で陸路小田原を目指すことには危険があるため、叔父である利府城主留守政景に託して塩竈から海路小田原へ向かわせると決めることになります。政宗としては各個撃破を図ろうにも上杉が積極的に動かない以上、背後に不安を抱えたまま対処せざるを得ないため、北条の関与が不可欠と考えたのです。







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