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戦前あるある

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

1月1日は役所広司さんの誕生日ですが、実際の出生日は12月27日とされています。理由はわかりませんが、昔(特に戦前)の日本では珍しいことではなかったのです。やむにやまれぬ事情の場合もあれば、家族の勝手な都合で変えられることすらあったようです。

私の親族でもそういう事例がいくつかありましたが、当時を知る者はほとんど鬼籍に入ってしまい今では事情を確かめるすべはありません。ただ、面白おかしく聞かされた記憶があるので笑い話になるような顛末だったと思います。また私的な養子縁組、つまり内輪で子供をあげたりもらったりということも茶飯事でした。何事につけ「緩かった」わけです。

実際私が生まれてからずっと一緒に住んでいた祖父母は、母の実の両親ではありません。祖父母が子宝に恵まれなかったために、祖母の兄にあたる次男からもらったわけです。つまり母にとって私の祖母はおばにあたります。母には妹がいましたが、この人も「アライのおばさん」と呼ばれていた人物にもらわれました。この「アライのおばさん」が一族とどういう関係だったのかが不明で、母も全くわからないそうなのです。非常に親しかったのは間違いないところですが、どちらをもらうかでかなり駆け引きがあったようで、「アライのおばさん」は私の母を欲しかったのだと後日述懐していたとのこと。母と祖母の関係があまり良くなかったことを考えると逆でも良かった気がしますが、そうなると私は存在しなかったことになる(私の父と出会うことはなかったはず)ので、このあたりは紙一重です。

私の実の祖母は夫(祖母の兄)が戦死後に再婚して一度横浜を離れ、そこでも夫と死別して私が生まれたときには横浜に戻っていました。非常に可愛がってくれ、私も「団地のおばちゃん」となついていましたが、実の祖母とは知る由もなかったのです。人の死に顔を見たのもこの人が初めてで、正直怖かったのを覚えています。とにかく子供の頃は「親戚」と名の付く人々が非常に多く頻繫に行き来もしていましたし、中にはどういった血縁なのかさっぱりわからない人もいたので深くは考えていなかったことと、祖父母が事実を伏せていたこともあり、私が実の祖父母の存在を知ったのは成人後のことです。何故か悲しくなって涙が溢れてきたのは、騙されていたような気がしたからなのでしょう。

母の兄弟姉妹5人のうち唯一健在な弟は今でも親しいです。祖母の実家とは疎遠になっていることを考えると、母の心中における存在の軽重が推し量れますね。私にとっては戸籍上では他人ですが、血縁上の叔父であることは間違いないです。

これらの例は氷山の一角でしかありません。若いころに一族の全貌を解明して家系図を作ろうと考えたことがありましたが、あまりの複雑怪奇さに断念しました。頑張っていればよかったかなあと思います。私ですらおじおばやいとこと呼べる人物は30人を下りませんが、母から見るとその比ではないですからね。多くが故人となり、また疎遠になってしまった今からでは遅きに失した感ありです。少子化と核家族化が進んだ現代ではありえないことですね。

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近代

Posted by hiro