ビルボードの思い出
1936年1月4日、アメリカの音楽業界誌『ビルボード』が世界で初めてのヒットチャートを発表しました。この時はジュークボックスのみが対象でしたが、4年後にはラジオ・楽譜・レコードを加えた4部門でチャートを掲載するようになります。
近年日本でヒットチャートと言えば「オリコン」ですが、半世紀前は圧倒的に「ビルボード」でした。土曜深夜にラジオ関東で放送されていた『全米トップ40』が、「ビルボード」のチャートを発表する『Ameican Top 40』を日本語で進行するものだったからです。どういうきっかけで番組を知ったか覚えていませんが、現在と比べてソースが非常に限られていた当時、洋楽に触れるというだけでなく最新の動向がつかめる本当に貴重な情報源でしたから、毎週ラジオの前にかじりついていました。
当時は私がギターを始めた時期と重なるので、洋楽に対して非常に貪欲になっていたこともあります。そのためギターがカッコイイ!と感じて好きだったバンドや曲の順位が思いのほか上がらなかったりすると、イライラしたりもしました。まあ総合チャートですから、ブーム真っただ中にあったディスコ系をはじめとするポップスが上位を占めるのは当然だったのですが… そのうちギターが上達するにつれ、もっと上手くなりたいという欲求から興味がハードロックに移ってしまい、チャートに注目しなくなって離れてしまったわけです。結局ラジオにかじりついていたのはほんの1,2年だったはずですが、忘れられない思い出です。
『全米トップ40』の進行役だったのが湯川れい子さんです。まだ『ベストヒットUSA』のスタート前ですから、音楽業界で英語が堪能というと真っ先に湯川さんを思い浮かべるほど流暢に感じましたね。その後接する機会がなくなったので、湯川さんの容姿を初めて目にしたのはだいぶ後のことだったと思います。作詞家として活動されていたようですが、一時私が洋楽ばかり追いかけていたのでそれを知ることもなく年月が流れました。そんなおり、もう20年位前になりますがNHK『みんなのうた』で放映された「月のワルツ」が湯川さんの作詞だと知った時は感慨深いものがありました。夢に出てきそうな幻想的かつ比喩的な詩にメランコリックな曲調と歌唱がマッチして、すごく好きだったんですよね。若かりし頃影響を受けた人に久しぶりに接して健在だと知ると、なんだかうれしく感じます。
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