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海道一から天下一へ その40

徳川家康に帯同した小早川秀康は、稲葉山城下で謹慎している兄信康との面会を望みますが家康はこれを却下し軍を進めます。威風堂々とした武将に成長した秀康の姿を見た信康がどのような反応を示すか読めなかったのです。

難攻不落の山中城
進撃する幕府本軍が先ず行き当たるのが山中城でした。東海道を取り込む縄張りを持つ、北条が幕府との対決に備えて大幅に拡充した難攻不落を自負する堅城であり、これを避けて小田原へ進むことはできません。しかし北条氏規は楽観視していませんでした。乱波の報告によると幕府軍は雲霞のごとし予想以上の大軍であり、総勢が把握できないほどとのことです。いくら堅城とはいえ損害を度外視して力攻めされれば、相当な出血を強いたにせよ長く持ち堪えるのは難しいでしょう。そこで氏規は山中城に引き付け防戦する間に小田原から大挙出撃して雌雄を決するよう当主氏直に要請します。しかし氏直は未だ戦を回避する望みを捨てておらず、早期の決戦には消極的だったのです。結局氏直は専守防衛を氏規に命じ、小田原からは若干の援軍を派遣するにとどめたのです。

家康の術中にはまる氏規
それでも氏規率いる山中城守備軍は意気軒高でした。北条流築城術の粋を集めた縄張りは渾身の自信作であり、多勢に無勢とはいっても幕府の大軍に一泡吹かせるには十分なものと自負していました。ところが当然攻城に向け布陣すると思われた幕府軍は、東海道の行軍を悠々と続けたのです。氏規は面食らいました。大軍が街道を進むには伸びきった縦隊にならざるを得ず、南北の高所から逆落としに攻められたらひとたまりもないのは明らかです。損害覚悟で力攻めするか、付城を築いて孤立無援とし籠城を強いるかの二択しかありえないところでの、まるで城を無視するかのような動きは全くの想定外だったのです。猛将松田康郷は家康の本陣を急襲して一気に決着をつけるべきと主張しますが氏規は躊躇します。家康ほどの戦巧者が、これほどの死地に無防備な横腹を曝して入るなど信じられなかったのです。大軍が通過するには相当の時間がかかりますが、氏規は決断できませんでした。そうこうするうちに家康の本陣を示す金扇の大馬印が見えてきます。康郷は頻りに出陣を促しますが、氏規はこれを抑えます。もし本陣にいるのが影武者だとしたら家康の所在を突き止める術がないどころか、ひょっとしたらすでに通過しているかもしれません。氏規は完全に牙を抜かれてしまいました。実は家康は本陣にいたのです。氏規をよく知る家康は、彼が猪武者ではないことを見越して鎌をかけたわけです。こうして難攻不落を謳った山中城は機能せず、家康は押えに筒井定次を残して小田原へ向かうのです。

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戦国時代

Posted by hiro