
やはり豊臣秀頼は凡庸
慶長20年(1615年)5月7日大坂城が落城、約150年続いた戦乱が終わって250年に渡る ...

桶狭間後の今川義元 その12
畠山高政の敗走を知った将軍足利義輝は方針を変更、二俣城攻略を目指します。また松平元康に越前 ...

桶狭間後の今川義元 その11
早い段階での上洛を考えていた武田信玄は上杉輝虎の南下を受けて方針を転換、遠江・三河の領国化 ...

桶狭間後の今川義元 その10
越中に出陣して一向一揆勢を打ち破った上杉輝虎は返す刀で揚北衆の鎮圧に向かって進撃を開始、抑 ...

桶狭間後の今川義元 その9
将軍足利義輝は武田信玄に対し矛を収めて恭順するよう再三説得していましたが、すでに足利にとっ ...

桶狭間後の今川義元 その8
事実上の天下人となった今川義元には、やはり慢心があったのでしょう。もはや自分に正面切って刃 ...

桶狭間後の今川義元 その7
清洲城を発って岡崎城に入った今川義元は三河衆も糾合、その軍勢は3万5千に達します。しかし駿 ...

桶狭間後の今川義元 その6
幕府を牛耳る今川義元と武田・北条連合の全面対決の様相が色濃くなり、新政権の発足で沈静化して ...

桶狭間後の今川義元 その5
武田信玄の胸中は南北どちらを目指すかで揺れていましたが、次第に南進に傾いていきます。これは ...